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ついったー、なあ。 

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私が好きな大人たちがtwitterは革命的かも、みたいに言ってたので
それなりに興味を持ってやっていたけれど、結局私にはまだ定着してないなあ。

なにがいいって、(1)テレパシィの実現(へのロマン)、(2)一回性を記録できる、(3)無意識の再意識化
とかだったと思うんだけれど。それ感じたときはすごくいい!と思った。


(1)テレパシィの実現は、まあもうメールとかで果たされていたかもしれないけれど。
twitterはさらに、厳密な実現だった。心まで外に出しちゃったか!と思った。そのことへの感激。
エスカレーターは、筋肉を外に出した。
超能力とか、魔法とか、そういう名前で貼っちゃうとついファンタジーになっちゃうけれど、
科学だって私にとってはじつは結構ファンタジー。理解できるだけで。
理解できるっていうのも、たまたま理解できるように学んできただけで。
だからいま当たり前に思っている移動だって、理解できる形で実現された、テレポートなのだ。
占いで本気で病気が治っちゃう世界だって実在するモンね。
それはたまたま納得できないだけで。
本当は「気」もみたことないけれど「原子」だってみたことないし
テレビでしか見たことのない偉い人たちだって、みたことないし。
実在していると信じているだけなんだ。



(2)穂村弘さんが『文藝』で言っていたことには、
俳句は生の一回性がたちあらわれるからおもしろい。
どんなにくだらないことの描写でも、そこにしかない生があれば魅力的だ。
だけど、いざ書こうと思うとなかなか繊細な生に振り返れない。忘れっぽい。
歩いていたりして、ふとそういうフレーズが思い浮かぶときにメモするのもいいけれど
twitterで習慣になるとなかなかいいんじゃないかと思った。ここで(3)につながって



(3)普段の行為はなかなかに、無意識的である。それをもういちどことばで捉えて、
行為のなかに意識を戻す作業は、生命力に関するのではないか。
何も感じていないのに何かしている、何か考えているような気になるのはもう嫌だ。




ということで、文章を書くのにもなかなか役に立つかなあとか思ってやっていたのだけれど
実際はどうだろう。定着しない。というかつぶやく自分がそんなに好きじゃない。
あと、必要以上にセンチメンタルになってしまう傾向がある。
なーんか感傷的なときになにか書こうとしてやめる、みたいな時間が多かった。
私はおセンチをだれかに見せびらかしたいのだろうか?と思うと嫌だった。
あと、心を外に出してしまったと感じた以上、携帯をそんなにしょっちゅう触るのがやっぱりはずかしい。それ、心の形かもしれないし。



ふうーひさびさに、長々と書いたよ。書いといて、自分でも全然わからないよ。正しくもないと思う。
書いてみて、ああこうなのか。と思うことも多い。
でもこれが、正しいとかそうでないとかは別として、ずっと書きたかった。
だけどどこか差し支えるかなー語るわりにわかってなさすぎてお馬鹿丸出しかなー探されるのもなーとか思ってて書けなくて。
ああこういうのを便秘というのね。すごいすっきりしたー。
内容が何であれ、ちょっと書いてみたいことを横において置くとつぎがなかなかうまくいかない。
内容が何であれ、アウトプットすると自然にインプットできる準備が整う。どんなに小さなことでもそうなんだなーといま感じてる。twitterについて猛烈に伝えたいとかでは全然なくて。なんでも。
糸井さんが呼吸みたいだと言ったみたいに。


全部吐くと自然に吸ってる!やっぱ「わたし」って宇宙だなーとか思う




[ 2009/10/21 11:08 ] 未分類 | TB(0) | コメント(-)

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