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パンダマニアの言い分 


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「熱中している」「ハマっている」「夢中」。
これらの正体は「執着」であることが多い。


なにかに集中的に心酔する、という状態は、本当は長く続かない。
「必要なもの」「足りないもの」を「求めている」心の動きだからだ。
執着には「理由」が存在する。その理由が清算されると、魔法は解ける。
何年も大好きなものが、きゅうにつまらなくなった、これは飽きでもあるが「卒業」でもある。
その穴が別のもので埋められたか、穴が自力で盛り上がったか。
すなわち「ハマる」とは「赤ちゃんが毛布を握りしめる」と似ている。
言い換えれば赤ちゃんは立派な「毛布マニア」である。


理由が清算される瞬間を「卒業」と呼んだが、
それは小学校6年間とかなんらかの契約期間、みたいな感じで、待っていれば訪れるものではない。
ずっと訪れない場合もある。
たとえば、アイデンティティと強烈に結び付いている場合。
自分を説明するものイコールがたとえば「音楽好き」とか「ラジコン好き」とか「アイドル好き」だったとしたら。
アイデンティティの卒業。かなりおおごとである。
しかも、自分の持つ世界=準拠集団=コミュニティが
ほぼ、そのアイデンティティに支えられているものだったとしたら。
たとえば、自分と同じ○○ファンの友人しかいない、とかだったら。
一気に失うものが多すぎて、卒業できない。
卒業できず、しかし違和感に気付いてしまっている人間は、正当化に必死になる。
そしてますますタイミングを逃す。


私の場合、パンダがなくなってもアイデンティティやコミュニティはゼロにはならないだろう。
そして、自分が小学生のときパンダを求めた「理由」にはなんとなく気付いている。
しかし22歳のいまも卒業しないのである。それはなぜか。



卒業しなくてもOKな方法は1つだけある。つまり愛。ずばり愛。
中学生のときに読んだ三浦綾子著『氷点』で、当時理解できないなりにどうしても気にかかった言葉がある。


「愛は意志だ」


愛は情熱のもとに
しかしじつは
客観的で、冷静で、責任ある仕草なのではないか。
あくまで情熱のもとに。
結婚したことないけど
「お互いが成長(=変化)し続けるなかで」「愛すると決めること」
これが誓いの正体であると乙女は信じている。



私はパンダを愛しているから、卒業しない。
人間同士のように感情的に変化していくことはないが
やはりパンダは生きていて、パンダを取り巻く環境は変化していて
何より私が「研究」を続けることで
わたしのなかの「パンダの存在」が変わっていく。
その変化をしっかり認めつつ、この先も愛していくと【決める】。
これを愛以外になんと呼ぼう。


愛せなければ、愛することを決められないのであれば、
卒業したほうが健全なものは、多いかもしれない。


愛とは健康的な執着である。


[ 2011/05/02 20:56 ] 未分類 | TB(0) | コメント(-)

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