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適当と誠実のあいだ 


写真-476


とにかく書こう。またそんな時期。
書きたいときしか書いちゃ駄目と決め込んでいる時期、無理矢理でも捻出したいなという時期、だいたい交互にくる感じ。今はすごく捻出モード。興味のないことでも――納豆のことでも少年のことでも雨天決行のことでもなんでも書く。改行すらろくにせずに書く。手当たり次第に書く。
いまは、右手の端にラーメンのことがぶつかったのでそれについて書く。


今日は私の中で、こってりラーメンのお葬式があった。

私はこってりとしたラーメンが好きだ。こってりしていればどこの店のものでも構わない。天下一品の「こってり」も好きだが、ここでいうこってりはその固有名詞のみを指すものではない。こってりとしたラーメン全般の話である。いわゆるポタージュ系、れんげの上に盛り上がるくらいのドテっとしたスープが好きで、あっさりしたラーメンを食べるくらいなら温そばを食べたいと思っている。これについては常に反論されるがすこしも懲りていない。
しかしこれだけ言っておいてなんだけれども、よくラーメンを食べているかといえばそうでもない。正直半年に1回程度しか食べない。私は、半年に1回ラーメンを食べるなら、ぜひ最強に重いものを食べたい、という考えなのだ。そんな私がラーメンを語っていいとはあんまり思わない。所詮私はラーメンというメディアを通してこってり感を摂取しているだけの女である。
その私が今日、今月になって3杯めのこってりラーメンを食べた。衝撃だった。あんなに大好きなスープが飲み干せなかった。私の中のこってりが飽和した刹那、その瞬間わたしはわたしのなかで刻まれていたひと時代を弔わざるを得なかった。さよなら私のこってり時代。

いままで同じようなことが、まいたけにも、たらこスパにも、焼き鳥(皮)にもあった。好きで好きで、調子にのるとすぐにその魅力がてのひらの指のすき間からこぼれ落ちて行く。
時代は、終わるよね。たとえその先、より深い次元でこってりやまいたけを愛せても、最初の関係性には戻れない。
そして、ずっと一緒にいたいものとは、距離が必要だって考え方もあるかもしれない。「距離」の考え方は難しくて、ぴたりくっついていても(たとえば私と私の研究対象ジャイアントパンダとの関係でも)、客観性を持つことで距離は生まれるのかもしれない。物質的距離でもない。
なぜ距離が必要か。それは、響き合うためである。ここでひとつ、シンバルを眺めたい。激しい衝突のあとおだやかに余韻する。シンバルの左右がいつまでも重なっていたら一生響きはうまれないのである。

ということで私はこってりラーメンと響き合い損ねた。無遠慮に近づき過ぎてしまったのである。いままでは半年に1度というしたたかな関係性を保ってきたのに、つい野暮なことをしてしまった。
次に好物が出来たら、愛を大切に育んで行きたい。こってりに対して誠実でなかったことを悔やんでいる。


お気づきのとおり、何か言っているようで何も言ってない。これぞ捻出系日記の正体である。でも人生なんて、何か言ってるようで何も言ってないみたいなことの繰り返しではないだろうか。この一文自体がそうであるように!






[ 2011/04/28 19:30 ] 未分類 | TB(0) | コメント(-)

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