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神聖さの正体 

 IMG_6387.png

(画像は和歌山県の三段壁洞窟の水の神様、牟婁大辯財天)



先日、ロケで北海道の室蘭市に行った際、偶然地元のとある祭典に出会った。
室蘭の大学学生寮の男子学生たちによる、「明徳祭」である。
商店街を赤ふんどし姿で盛大に闊歩する"赤フン行列”がメインだそうだが
このとき私が見たのはその一週間前に事前に行われる儀式、
「ふれまわり」というものだった。


「ふれまわり」は、袴姿で10cmくらいの高い下駄を履いた20人ほどの男子学生が
商店街の一店一店の店先で、儀式的な動作や大合唱をするといったようなもの。


この20人のフォーメーションは決まっており、
腕を組み、Vの字にきっちりと並んだ学生たちの真ん中に
一名、団長のような学生が木刀を持って立つ。ひとり長髪だ。
画像がありました)

静寂のなか、団長(仮)が木刀で決まった動作をしてから合唱が始まるのだが
まずこの動作から受ける神聖な印象に、なんだかゾッとさえする。
隙のない木刀の扱い。角度からなにから、
代々厳しく受け継がれているのだろうかとか
きっと学生寮には普段から毎年一名選ばれしものがいるという
緊張感が漂っているのだろうとか
この役割を担う者は、なんらかの神聖な理由によって
長髪が義務づけられているのだろうかとか
そんな文化の想像が頭の中を瞬時に駆け巡った。

あとに続く合唱は、歌というより叫びで、これまた圧倒される。
顔をぐちゃぐちゃにして、魂をしぼりだすようにして、学生たちが唄う。
まだ若い、あどけないともいえるような顔立ちの男子学生たちに
この瞬間だけなにか取り憑いたのではないか、と本気で思う。

この"儀式"はすべての決められた動作、順序で行われる。
フォーメーションの崩し方も決まっていて、列に並び直す際に
うしろの学生に向かって
「兄さん、がんばろう」(だったような気がする)と言う。
言われた学生は、またそのうしろの学生に、その学生も
またその後ろに。

「兄さんがんばろう」「兄さんがんばろう」「兄さんがんばろう」
不思議なざわめき。しかも表情は穏やかな微笑だ。
決まり事だから、言わされているから、というふうはまったくない。


普段はきっと普通の、いまどきの、男子学生たちなのだろう。
でもそのとき私が出会った彼らは、思わず身震いするほど神々しかった。
そのまなざしに、世界の非凡さを見せつけられた。


神聖さはどこから来るのか。
ひれ伏すしかない大いなる自然や生態系みたいに
はじめからそこにあったかのように思えるものだけでなく
人間が生み出す神聖さというものがある。
形のなかに「宿る」ものか。

男子学生の集団に、伝統やつながりが垣間見られたことで
神聖さにも誕生の瞬間というものがあるのだなと思ったのであります。





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[ 2011/07/13 14:51 ] 未分類 | TB(0) | コメント(-)

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