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生写真 


写真 1-56

間を空けずに小説を3本読んで頭を活字で埋め尽くした。
歩けばこぼれそう、というかこぼれる。
商店街の看板や書店のポップの活字に誘発されたりしながら
思考がぽろぽろ言葉におちてくる。


わたしの言葉をつくる柱は2つある。
1つは単純に読書を重ねることで言葉にふれてきた経験。
もう1つはもっと色気がない。受験の経験である。
学校や塾で「教えられた」言葉のつかいかた。
意外にもそれが大きく影響している。


高校受験の際、「自己PRカード」というものがあった。
全員書く。成績・自己PR書・試験・面接(小論文)の総合点で合否が決まり
その学校によってそれぞれの割合が違う。
この「自己PRカード」に相当に鍛えられたと思っている。


「自己PRカード」あるいは「志望動機書」は、たいてい1枚の紙ペラである。
そこに、これまで自分がどのように生きてきたか、どこを誇れるか、そしてこれから何をしていきたいのか、を簡潔に言葉にすることが求められる。1枚の紙ペラに。


つかってはいけない言葉。
「必死」「誰にも負けない」「いろいろな」「多くの」「さまざまな」など。
「必死」は「必ず死ぬ」なので、「必死に部活の練習をし」は、正確ではない。
「いろいろなことを学んだ」は、なにも学んでないことを告白するようなものだ。
こうした細かい言葉のつかい方を先生にひとつひとつ指摘された。
そのとき、言葉は「オリジナルであること」「具体的であること」が命なのだと体に刷り込まれた。


「~なら誰にも負けない」。これは誰かの言葉である。
「1人1人にできることから」。これも誰かの言葉である。
スルッとでてくるのはよく聞くからであって、自分の言葉だから、自分の意見だから、ではない。
言葉は生もの。
自分の体験情報を正確に言葉に置き換える。
そういう言葉以外は死んでいる。


先日、NHKの短歌をテーマにしたラジオに出演させていただいたとき、
「短歌は写真だ」と思った。
情景を切り取る。光ではなく言葉で。その瞬間がきちんと真空パックされるし、
何人かで1つの短歌を囲むことは、まさに情景の共有であった。


写真 3-37 写真 1-56 写真 2-59 写真 3-36

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[ 2011/05/17 14:40 ] 未分類 | TB(0) | コメント(-)

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