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淵と触覚 

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あたまの奥がぼうっとなっている、それでいて作業は極めて前傾姿勢である。
そんな瞬間がある。誰しもあると思う。


文章を書いていて、わたしだけれど、わたしじゃない部分が、
世界に言葉を当てることがある。
《意識以前》が世界のかたちを確かめようと必死になっているのがわかる。
みぞおちの奥から手を伸ばして、現実にべったべた指紋をつける。

便利な言葉を放棄して、からだがアンテナになる瞬間が心地よくて
時計は狂する。


芸術作品を見ていて、芯をゆさぶられるときというのは
もしかして、作者のこうした瞬間にふれてしまった気がするからかもしれない。

正常な(清浄な)定規じゃなくて、つつみこむような、不器用なような、
人肌の温度の「手」で、世界をはかって再構成しているのが、
神々しくも、いじらしくも感じてしまうのかもしれない。

あやうくて美しい
意識のふち。




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[ 2009/11/23 00:10 ] 未分類 | TB(0) | コメント(-)

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